文字が入ると、変わルンですっ!!

【おまけコラム】文字が入ったことで変わったこと

思考が、変わるっっ!! 生まれるっっ!!
 『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』を書いた水村によれば、ある文化に「文字が入る」ことで重要なのは、入ってきた文字で書かれた叡智・〈図書館〉へのアクセスが可能になることだという(125頁参照)。
 この「文字が入る」ことについて異なる角度から焦点を当てているのが、Orality and Literacy(『声の文化と文字の文化』)を書いたW.J.オングだ。オングは、文字という「記憶の外部装置」が入ったことによって、人間の意識や人と知の関係が大きく変化したと述べる。中途半端な理解力とちっちゃい頭で考えているため、正確さには欠けるかもしれないのですが、ご了承下さい。

 ワードで書いていた時に使用していた表が使えないので見づらいのですが、人間の文化をオングは大きく4つに分類しています。Primary oral cultureは文字・〈書き言葉〉がまだ存在しない、声の文化・口承の文化を意味します。Manuscript cultureは〈書き言葉〉が入ったばかりの手書き文化のことです。Printed cultureはグーテンベルグ印刷機の発明以降に発展した印刷文化を指しています。そして、Secondary oral cultureは、ラジオやテレビ、ウェブなど〈話し言葉〉が再び力を持ち始めた第二の声の文化となっています。
 以下の1)にはoral cultureの特徴が。2)にはmanuscript cultureの特徴が。3)にはpritend cultureの特徴が、そして4)には、secodary oral cultureの特徴が入ります。
四つに大きく分けられた人間文化
○文化の種類 1)Primary oral culture 2)Manuscript culture 3)Printed-culture 4)Secondary oral culture
○情報源 1)主に人〈話し言葉〉)のみ 2)人と文字 3)人と文字(書物) 4)人と文字(書物・ウェブ)音声(テレビなど)
○知識の複製・広がり方 1)困難。伝達は小規模。2)複製は可能だが困難。まだ大規模に至らず 3)容易・大量の複製が可能。大規模な広がり 4)印刷文化以上のスピードや規模の伝達・複製
○記憶の復元 1)困難 2)可能 3)可能 4)可能
○思考の仕方 1)思い出しやすいやり方に制限 2)一般レベルではoral cultureと変わらず 3)緻密・複雑な思考が可能になる 4)緻密・複雑な思考が可能になる

 Oral culture(口承文化)の段階では、人は〈話し言葉〉しか持っておらず、基本的に情報や知識を得るためには、自分が知りたいことを知っている人間に直接会って話を聞かなければならない(直接的なコミュニケーションの必要性)。また、「見聞きしたことを文字にして記す」ということができず、自分の記憶力以外に頼るものがないため、いったん「忘れてしまう」と、忘れられてしまった情報や知識を復元することが困難になる。忘れられたことは文字通り、「消えてしまい」、「存在しなかった」ことになってしまう。オングの意見で興味深いのは、口承文化では、人間の思考の仕方がある一定の方向に制限されていた、ということである。
 「記憶の外部装置」がない場合、人は自分で記憶しておくしかない(”You know what you can recall”)。このため、口承文化では、人間の思考があらかじめ記憶しやすい、思い出しやすいパターンでなされるということをオングは述べている(たとえば、「物語」や「詩」は、ある形式やリズムを使って憶えやすいようにデザインされたものとして考えることができる。)オングは以下のように書いている。

In the total absence of writing, there is nothing outside the thinker, no text, to enable him or her to produce the same line of thought again or even to verify even to verify whether he or she has done so or not.(……)How could you ever call back to mind what you had so laboriously worked out? The only answer is: Think memorable thoughts. In a primary oral culture, to solve effectively the problem of retaining and retrieving carefully articulated thought, you have to do your thinking in mnemonic patterns, shaped for ready oral recurrence. Your thought must come into being heavily rhythmic, balanced patterns.(Orality, Literacy, and Modern media, p.65)

 時間に余裕がないため自分で翻訳することができないが、ここでオングは「口承文化では、考えたことを思い出すためには、あらかじめ思い出しやすい形で思考すること、口に出して思い出しやすいようにリズミックでバランスが取れたパターンで思考することが重要だった」だと述べている。また口承文化では〈話し言葉〉によって、知識や情報が伝達されていたため、知識や情報は、それを話す語り手と強い結びつきを持っていたとされる。
 Manuscript cultureの段階になって、文字という「記憶の外部装置」が入ってくる。これによって文字にして残すという行為が可能になる。そうして、記憶や経験、情報や知恵などの「書かれた」ものは後世に生きる人間に文字を通して伝わる。しかし、この段階では、書物はまだ手書きで、書かれた内容を複製するには多くの時間とエネルギーを費やしていたため、〈話し言葉〉によるコミュニケーションが主要な役割を持っていた。またこの文化では、文字が手書きのため、書いた人と書かれた文字が強い結びつきがあった。

 上にあげた二つの文化の流れを大きく変えたのが、グーテンベルグ印刷機の発明と印刷革命に始まるprinted culture(つまり印刷文化)の登場だ。グーテンベルグ印刷機がヨーロッパで発明されたことによって、知の伝達や人間と知の関係に大きな変化が起きる。
 まず、書物の大量印刷が可能になったことによって、書かれた情報・知識の大量生産・大量複製が可能になる。これはのちに〈国語〉の成立や、同じ情報や知識、言語を共有している意識を作り出すことにも影響してくる。
 次に、書物が商品として流通するようになるにつれて、「文字を読む」大衆(the reading public)も作り上げられてゆくことになった。かつてない規模で流通するようになった〈書き言葉〉はこの段階で大きく発展するようになる。〈書き言葉〉の本格的な流通によって、「暗記の必要性」から解放された人々が〈書き言葉〉を用いて考え始めるようになった結果、より緻密で正確な、複雑な思考が発達するようになる。オングによれば、印刷革命は近代科学や文学、プライバシーの確立、言葉の所有権(オリジナルや剽窃という概念の発達)や言葉の商品化などにも関わっている。
 また書物という形で大量に情報や知識が流通したことによって、人と知の関係も大きく変った。言葉を発する語り手や手書きの文字を書く書き手など、メッセージを発する人の内側と強く結びついていた情報・知識が、「モノ」に近づいたことをオングは指摘している。

In this new world, the book was kess like an utterance, and more like a thing. Manuscript culture had preserved a feeling for a book as a kind of utterance, an occurrence of conversation, rather than as an object. (……) With print, as has been seen, come title pages. Title pages are labels. They attest a feeling for the book as a kind of thing or object. (Ong, PRINT, SPACE, AND CLOSURE, p.118)

 現代はテレビやラジオ、インターネットが入ったことによって、secondary oral cultureの時代に入ったのではないかと言われている。この段階では〈書き言葉〉だけでなく〈話し言葉〉の複製・大量な流通が可能になっている。特にインターネットという新しいテクノロジー革命が生まれたことによって、かつてないスピードで複製・伝達をすることができるようになった。たとえば、ネットを開いてyoutubeにアクセスをすれば、アップル社の社長スティーブ・ジョブが母校の卒業式のなかで行ったスピーチや、カーネギーメロン大学の教授だったランディ・パウシュが講演した「最後の授業」、放送されたテレビやラジオのコンテンツなど、かつては「一回きり」だったものを何度でも見たり、聴いたりすることができる。グーグル、ウィキペディアなどを発達させたウェブは、おそらく人間の意識をより大きく変えてゆくことになるだろう。
 ただし、〈書き言葉〉が発展し、力を持つことは全てがプラスになるとは限らない。それは時として、文字化されないものに対する軽視を生み出しかねない。有名なドイツの思想家・批評家のヴァルター・ベンヤミンは、『ベンヤミン・コレクション2』に入っている「物語作者」や「長編小説の危機」というエッセイで、物語によって経験や生きた知恵を伝える力が衰退してきたことを指摘している。

 物語作者は、私たちにとってすでに遠くなってしまったもの、そしていまもなおさらに遠ざかりつつあるものだ。(略)まともに何かを物語ることができる人に出会うことは、ますますまれになってきている。そして、なにか物語をしてほしいという声があがると、その周囲に戸惑いの気配が広がっていくことがしばしばである。まるで、私たちから失われることなどありえないと思われていた能力、確かなもののなかでも最も確かだと思われていたものが、私たちから奪われていくかのようだ。すなわち、経験を交換するという能力が。(略)この現象の原因のひとつははっきりしている。経験の相場が下落してしまったのだ。(284−5頁)

 いずれの場合も、物語作者は聞き手に対して助言を心得ている男である。しかし、この「助言を心得ている」という言い方が、今日私たちの耳に古びたものに響きはじめているとすれば、それは、経験の伝達可能性が減少しつつある、という事情のせいだ。その結果私たちは、自分自身にたいしても他の人に対しても、助言を与えることができなくなっている。助言とは、問いに対する答えというよりも、(いままさに繰り広げられている)出来事のこれからの見通しに関する提案なのだ。(略)生きられた人生という布地に織り込まれた助言とは、知恵である。物語る技術がその終焉に向かいつつあるのは、真理の叙事的側面、すなわち知恵が、死滅しつつあるからだ。(290−1頁)

 物語る技術が衰退し、生きた経験や知恵が受け継がれなくなったことには、社会が「情報化」しつつあること、私たちが「待てなく」なってきていることとも関係があるとベンヤミンは言う。

 物語る技術がまれなものになってきているとすれば、この事態には、情報の普及が決定的に関与している。(略)情報はこの瞬間にのみ生きているのであり、みずからのすべてを完全にこの瞬間に引き渡し、時を失うことなくこの瞬間にみずからを説明し尽くさなければならない。物語の方はこれとはまったく異なる。物語は、みずからを出し尽くしてしまうということがない。物語は自分の力を集めて蓄えており、長い時間を経た後にもなお展開していく能力があるのだ。(295−7頁)

 物語る技術が衰退した原因として、現代人が「意味がすべて即座に分かるもの、待たなくてすむ情報」を追い求めて、時間の経過が必要な物語から遠くことを指摘している。「時間など問題にされなかった時代はもう過ぎ去ったのだ。今日の人間は、短縮されえないような仕事にはもはや手をつけようとさえしない」というヴァレリーの言葉を引いて、ベンヤミンは私たちが現代人は、経験を徐々に折り重ねて、生きた経験や知恵が溢れる物語を生み出すことをしなくなってしまったことを憂慮している。

 梅田希望さんがブログで取り上げていた『忘れられた日本人』を書いた日本の民俗学者宮本常一ベンヤミンと似た危機感を持っていたように思われる2008-12-27民俗学の研究を行い、多くの村々をまわって人々の話に耳を傾けてきたなかで、宮本もまた、このままでは消えてしまうものに気付いた。それは、生活に根ざした人々の物語や経験、生きた知恵だった。宮本の『忘れられた日本人』には、そうしたものを「忘れないように」するために文字にして書かれた。
 〈書き言葉〉と情報が大きく力を持つようになったために、文字化して伝えることが難しい「暗黙知」、生活のなかに根付いた生きた知恵や経験にあまり注意がゆかなくなっている。こうした知恵や経験は、語り継がれることがなければ、やがては「忘れられ」、消えてしまうものだ。水村さんは〈書き言葉〉の本質は「読む」という行為にあると主張したが、水村さんの思考の仕方を借りれば、話し言葉〉の本質は、「聴く」「聴いたことを語りつぐ」という行為にあると言えるかもしれない。
 さて、ここまで書いてきたのですが、現にいま、こうして書いている僕の言葉も、文字がなければ伝わらないんですね。いやあ、文字サマサマです。え、結論がひどいですって? ……すみません。これを見て興味を持った方はぜひオングの本に目を通してみてください。では!

声の文化と文字の文化

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Orality and Literacy (New Accents)

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ベンヤミン・コレクション〈2〉エッセイの思想 (ちくま学芸文庫)

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