心のパトロン
今からもう、4〜5年前になるだろうか。
学生だった時、その日の授業を一通り終えてから、英語のゼミを担当してくれた
教授の研究室に遊びに行って、色んな話をしていたときに、教授がふとした機会に
こんなことを言った。
「僕ら年寄りの仕事っていうのは、若い人たちをencourage(励ます)ことなんですよ」
若い人たちが、その人なら自由な生き方、暮らし方が出来るように、背中をそっと支えてあげる。必要であれば、相手に助言を与えたり、有益な情報や人を紹介してあげる。
それは多分、ちょっとしたことでもいい。
その人が、何か自由になるきっかけがつかめるように、サポートすること。
(経済的な形だけでなく)精神的なところでも、後押しできるようにすること。
この言葉を聞いて、自分は、「いい先生の下についたな」と思った。
この教授にもらった言葉が、忘れなくて、今も心に強く残っている。
自分もまだ20代半ばで経験も浅く、自分のことで手一杯の時もあるけれど、教授のように生きてければいいなって思う。
自分の手持ちの素材、情報、人脈で、ちっぽけなことでも構わないから、何か人の役に立てないか、いまはアレコレ考えている。
面白い人、自由な発想をする人がどんどん増えて、良い形でつながっていけば、この国はまだまだ面白いことが出来るんじゃないかなーと思うんです。
僕自身、去年は会社員として働きながら、自分が普段お世話になっているアートギャラリーの方の、海外向けの仕事を手伝って、また、そこで色んなつながりが持てました。
今は、友達と月イチの頻度で詩の朗読会をしたりと、新しいことにやっていて、自分でもまだまだ面白いがたくさん出来るんだなーと感じています。
自分よりも年下の世代は、おそらくもっとシビアな環境にいるだろうと思うけれど、
シビアな環境だからこそ、色んなことを楽しんで欲しいし、自由な考えをなんとか失わないで、大事にして欲しい。
面白い企みをしようっていう意識や、DNAが、大事なんだ。
これからの日本は、多分ますます大変になるだろうけど、何か良いものを自分よりも下の世代に残していきたいねぇ。
銀河鉄道な夜
「それをカムパネルラが忘れる筈もなかったのに、すぐにメールをしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午後にも仕事がつらく、週末になってももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云わないようになったので、カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざとメールをしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。」
「『ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか』
ジョバンニは、すぐ返事しようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、どうしても考えつきませんでした。カムパネルラも、顔を真っ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
『ああ、遠くからですね。』お客さんは、わかったというように雑作なくうなずきました。」 (以下、数時間空白)
「するとどこかで、ふしぎな声が、金沢文庫、金沢文庫と云う声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに」(以下、略)
「気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている赤い電車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の京浜急行の、大きな白色の電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。ああ、上大岡駅を寝過ごしている、とジョバンニは気付いたのでした。」
※1 この文章には、剽窃の疑いがあります。
※2 ちゃんと休息が取れないと、疲弊して仕事の効率もあがりまへん。オフも荒みまっせ。
※3 金沢文庫から横浜・品川方面の電車がもうない場合は、タクシーを使用しましょう。
※4 カーリングの試合が、面白い!
※5『銀河鉄道の夜』は、現代に生きる会社員に向けて書かれた本として読んでみると面白いよー。
なぜか黄色い布ばかり買ってしまう…
今週のお題「私の小さなこだわり」
タイトルの通り、自分には困ったことがあって、
ギャラリーやテキスタイル工房に行くと、なぜか、
黄色い布ばかり、買ってしまう。
少し前に買ったのは、沖縄の織物工房で作られた福木染めの黄色い布
最近買ったのも、やはり、台湾で作られた、黄色い布。
別に風水とかにハマっているわけでもなければ、
黄色いがものすごい好きなわけでもないのだけど、
なぜか黄色い布を見ると、全身の感覚が一気に砥ぎ澄まされ、
開いて、気がついたら、レジに並んでしまう(笑)
そんなこと、みなさんも、ありますか?
就職活動をしている人へ
休日に喫茶店やカフェで時間を過ごしていると、またスーツを着た学生たちの姿が目立つようになってきた。彼らの横で本を読んでいると、説明会、エントリーシート、面接や企業の情報、自己アピール、これまで自分が何をやってきたかなどのトピックに関する話が次から次へと耳に入ってくる。少し前まで、自分も同じ状況にいたことを思い出し、少し苦い気持ちになるのだが、それはきっと、就職活動での苦しさというのが、自分の可能性を選ぶことと直結しているからだと思う。
僕の場合、2008年の冬頃に就職活動を始めた。始めた頃はあまり突き詰めて考えずにあれこれ手当たり次第に企業を受けていたので
就職活動の終盤になってから気がついたことなのだが、「やりたいこと」「好きなこと」だけを軸にして考えてしまうと、就職活動はたぶん上手くゆかない。やりたいことや好きなことだけを軸にして考えていたとき、僕は自分の想いや情熱だけがどんどん先走ってしまって、空回りしていました。
自分の考えや長所を「伝える」ことばかりに夢中になっていて、いつの間にか視野が狭くなっていたのだと思う。それらがどうすれば目の前にいる相手に「伝わる」かを全然考えていなかった。
ここから先に書くことは、そんな僕からの個人的なアドバイス。
僕は「やりたいこと」「好きなこと」だけではなく、「やりたくないこと」「嫌いなこと」という2つの軸を持って、これからの自分の仕事や将来を考えることが、とても大事だと思います。
たとえば、僕は車には乗らないし、テレビもあまり見ません。生命保険みたいに人の生死に関わる仕事にも興味はありません。銀行や証券も、動かすお金の規模が大きすぎて、自分の感覚が狂ってしまいそうで嫌だった。
そういう人間が、上に挙げた分野で働いて、それでお金を稼いで、生活することに納得できるかな、と考えたら、自分は納得できないだろうなと思いました。どうしてだろうと、繰り返し、その理由を考えた。そこで初めて、自分のやりたいことが立体的に理解できたのだと思います。
そういう風に自分が興味のないこと、仕事にしたくないことを考えることに時間を割いて、改めて自分が興味のあること、やりたいことを考えていったら、考えがまとまるようになってきて、自分がどうしてあることに興味があるのか、以前よりも少しだけ客観的に、上手く説明できるようになりました。
学生のみんながこれから出会う面接官たちは、「この人と一緒に仕事をしたいかどうか」という基準でこちらを見てきます。
エネルギーを感じさせることも大事。可能性を感じさせることも大事。でも一番重要なのは、目の前にいる人達に「自分がなぜそこで働きたいか」を納得してもらうことだと思います。「自分にはこれしかない」という言うだけでは、相手は納得してくれません。
自分と全く環境やものの捉え方が違う人間にも、考えが「伝わる」ようにするには、結構骨が折れることですが、むしろ社会に出て仕事をすると、いかに相手に納得してもらって仕事を一緒に進めるか、という部分が、仕事の中心になります。
たぶん、こんなにしんどい期間は人生の中でそうそうないと思うけれど、就職活動の期間で考えたことはきっと、自分の思想の土台になるはず!
・社会にとっては大事だけれど、自分にとっては大事でない
・社会にとって大事で、自分にとっても大事
という2つの軸で、いま自分が取り組もうとしている仕事がどういうものなのか、考えてみると、きっと面白い発見がたくさんあると思います。だから、少しだけ粘って、考えてみよう。
お気に入りのうつわたち
今回は、僕が普段愛用しているうつわたちのご紹介。
うつわを買い集めるようになったのは、大学を卒業し、これから働くぞという頃でした。
仕事でどんなに忙しくなろうとも、日々暮らしていくなかで、ときどきでもいいから美しいものにふれていたい。
そうすることで、自分の心の中にゆとりや「暮らしの実感」が持てるようになれたらいいな、と思って注目したのが、自分が何気なく使っている日々の食器たちでした。
1.赤木明登さんの汁椀
石川県輪島在住の塗師(ぬし)赤木さんが手がけたうつわ。黒漆を丁寧に、幾重にも塗り重ねて仕上げられたものです。
うつわギャラリー「桃居」で見つけたときに「こんな、美しいもので毎日食事が楽しめたらいいな」と思い、購入しました。
漆のうつわは、使えば使うほど手になじんでくるし、艶や深みが出てきます。ふれているだけで、エネルギーがもらえるうつわです。
2.三谷龍二さんの木の匙
木工デザイナーの三谷さんが山桜の木から形をとった匙。知人に勧めてもらった本(新潮社『木の匙』)でその存在を知りました。
手で触れたときの感触や、口にするすると食べ物が入ってゆく感覚が魅力です。
鼻を近づけると、桜の香りがほのかに匂って来るので、僕は最近、この匙に向かって犬のようにくんかくんかしています。
3.安藤雅信さんのコップ
岐阜県多治見を中心に活動されている安藤さんの作品。クリームのようなあたたかい色と、ゆるりとしたラインが特徴です。
洗練された要素と、原始的と呼べそうな何かが混ざり合っている様が気に入っています。包容力を感じさせるコップで、手でつかんでいると、こちらが包まれているような気になります。
「器の大きな」小さいコップ。
波止場にて
今回は、久しぶりの更新。少し疲れているときに読んだ文章で、心が励まされたものをいかに載せてみます。
「...おとなはランベルト君のようにキャラメルをもらってもチップをもらっても、そんなことではよろこばない。働くよろこびも評価されるうれしさもあるが、それだけでは気持ちが晴れないのだ。あれやこれや心が占められ、一日中何かを考えてしまうのである。子供の先はおとなだが、おとなの先はない。波止場どまり。そこからは芒洋とした海が見えるだけ。ずっとおとながつづくのだ。考えるしかない。思うしかない。
ホッファーの日記はおとなの日記だ。おとなになって、もうおとな以外のどこへも行けない人のものなのである。子供が読んだら不思議なものに見えるだろう。」
(荒川洋治『日記をつける』岩波アクティブ新書、2002年、16頁)
荒川さんという人が『波止場日記』という本について述べた言葉が、ちょっといい文章だと思ったので引っぱってみた。ただ、自分がなぜこの文章をいいと思ったのか、上手く説明できまへん。
でっかい海を前にして、ロダンが彫った「考える人」みたいに、ぽつんと座っているイメージが気に入ったのかもしれない。でっかいことやムズカシイことを考えているのに、ちょっとチッポケな感じがかっこいいんだ。きっと。
おとなはなんだか行き詰まって見えるけれども、波止場の目の前には、でっかい海があることを忘れちゃいけない。